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日本の音楽展プログラムより「日本の音楽展」のご案内
「日本の音楽展・作曲賞」「日本の音楽展」記録

日本の音楽展
題字:宮本沙海
主宰 熊谷 弘

「日本の音楽展」プロフィール
 「日本の音楽展」は、指揮者・熊谷弘の提唱により1979年1月29日、9名の演奏家達により開始され、以来毎年1月に定期的に開催される。年毎に賛同する演奏家も増え、1983年以降、毎年五夜、1997年1月より六夜連続で開催される。「日本の音楽展」(XXX)までに地方公演も含め155回のコンサートを開く。その間、延べ2000余名にのぼる演奏家達の参加を得て450余名の作曲家による3000曲を越える作品を演奏する。又、「日本の音楽展」に於ける演奏家と作曲家の出会いによる新しい作品も数多く生まる。ミュージックディレクター、及びプログラム構成に当たっている主宰者・熊谷弘は、1988年、「日本の音楽展10年の実績」に対し、演奏家達と共に第6回中島健蔵音楽賞を受賞。
 1997年、「日本の音楽展」20周年を記念して「日本の音楽展・作曲賞」を設立。選考委員に作曲家の佐藤敏直・廣瀬量平・松村禎三・三善晃の四氏を迎え、第1回作品募集を実施する。以降、毎年作品募集が行われ、2008年1月までに20作品に「日本の音楽展・作曲賞」が授与され、11作品が「日本の音楽展」において演奏される。 

熊谷弘 写真
熊谷弘








「ES」神崎民生画 制作1965年頃
 私がこの絵を書いたのは1966年頃、もう33年位前の事です。30代の前半、試行錯誤、やっと何とか自分らしい画が出来た、と思ったのがこの『エス』の一連の作品で、初めての個展の出品作品です。今は海辺に住んでいますが、波の音に魅せられ、色鉛筆でいろいろ手さぐり(耳さぐり)で、小品ですが納得の行く作品を楽しんで書 いています。                 神崎民生

(1999年8 月)
「日本の音楽展」30周年を迎えて
「日本の音楽展」主宰 熊谷 弘(指揮者)

 「普通の音楽はやらないのですか?」
 1996年、「日本の音楽展」(VIII)の福岡・筑後公演に先立って行われた記者会見席上での某新聞記者の質問であった。 
 アジアでも最も東に位置する我が国は、古来、中国大陸や東南アジア等の外来文化に大きく影響されながら独自の文化を築き継承してきたが、明治維新をきっかけに、欧米の文化を積極的に取り入れ、当時、先進国といわれた国々とも、次第に交流を深めていった。
 西洋音楽が輸入されて百数十年。数々の名曲は音楽愛好家たちを魅了し、それは驚くべき勢いで普及していった。我が国に古くから伝承されてきた優れた芸術性を持ち完成度も極めて高い日本の伝統音楽は片隅に押しやられ、一時、「音楽」と言えば、西洋音楽の代名詞と思われる時代さえあった。 西洋音楽に魅せられ、それを学んだ日本の演奏家たちは、音楽愛好家達に支えられながら、ヨーロッパの古典やロマン派の音楽を中心に演奏活動を展開していた。しかし、これらの音楽は、私達日本人にとっては借りものの文化の一つに過ぎず、楽器や技術は輸入できても、音楽する心まで輸入する事は出来なかったのである。
 あらゆる民俗は独自の音楽を持ち、あらゆる国々には特有の音楽がある。即ち、イタリアにはイタリアの音楽、ウイーンにはウイーンの音楽があるように、日本には日本の音楽がある。
 戦後、日本は世界中の文化に押し流され、浸り切っているかの如く見えたが、近年になって自国の文化に興味を持ち、古くから伝えられてきた風習や芸術にも大きな関心を寄せられるようになった。人々はそこに完成された美と日本の心を見い出し、又、洪水の如く押し寄せる他国の文化に触発され、未来に向かう大きなエネルギーを得る。異なった文化の摺り合せと交わりは刺激的であり、新たに試みられる力強い創造は、日本の今日であり、魅力的な明日を築く。それらは、私たちのメッセージとして継続的に発信され、多くの人々に受けとめられ、はじめて真に価値あるものとして成長していくのである。
 20世紀の後半になって、世界の作曲家たちは独自の創作活動を展開していた。西洋音楽に学んだ日本の作曲家たちは、あらゆる民族の文化に大きく影響されながらも、日本音楽の確立を目指し、独自の音楽を創りあげてきた。豊かな感性と精力的な創作活動により、毎年、膨大な数の作品を発表し、極めて優れた芸術性を持つそれらの作品は、私たちの心をとらえ、又、国際的にも高い評価を得ている。音楽は人々の心を癒し、生きる喜びと誇りと自信を与えてくれる。これらの作品こそ日本の音楽であり、日本の心であり、私達の音楽である。今や、日本は「知られざる名曲」の宝庫と言っても過言ではないだろう。しかしながら、それらの音楽は西洋音楽の流れで云う近現代の作品であり、所謂、クラシック音楽とは趣を異にしていた。当時の日本の音楽愛好家達や某新聞記者の云う“音楽"とは、明治維新以来、輸入され普及した西洋のクラシック音楽を指し、日本の音楽といえば現代音楽であり、それは特殊な存在。つまり“日本の音楽"は普通の音楽から除外されていたらしい。
 日本の音楽が「普通の音楽」として認知され、「知られざる名曲」が、「不朽の名曲」となり、やがて、世界の音楽として人々に受け入れられる日がやって来ると信じながら、私達は、愛する日本の音楽を、繰り返し演奏し続けたいと思う。

                       (2008年1月執筆)

                     


「日本の音楽展」29周年 熊谷弘
「日本の音楽展」主宰  指揮者 熊谷 弘(2007年1月執筆)

 明治維新以来、ヨーロッパ文化が堰を切ったように我が国に流れ込み、西洋音楽も又、多くの人々を魅了した。そして、その普及は目覚ましく、クラシック音楽の愛好家も破竹の勢いで急増していった。西洋音楽に学んだ日本の演奏家たちは、所謂、音楽愛好家達に支えられ、ヨーロッパの音楽を中心に演奏活動を展開してきたが、楽器や楽譜を輸入し、知識や技術を身につける事はできても、音楽する心まで輸入する事は出来なかったのである。
 現在、私達日本人は、作曲家諸氏の弛まぬ努力と精力的な活動により、既に、多くの優れた作品に恵まれている。「日本の音楽展」開始以来、演奏家達は、心の拠りどころとして自分に相応しい作品を探し求め、毎年宝探しにも似たような作業を繰り返している。1997年より設けられた「日本の音楽展・作曲賞」は、多くの優れた作品に出会う機会でもある。
 日本の音楽は、私たち日本人にとって掛け替えのない素晴らしい財産である。演奏家達は自ら作品を択び、これらの作品を繰り返し演奏し、聴衆と共に日本の心に触れたいと願っている。

 「日本の音楽展」は、今年29周年を迎えました。今日まで続けて来られたのも、諸先輩や友人達、積極的にご参加いただいた演奏家の皆さんのお力添えの賜であり、そして又、何よりも、ご来場いただいた皆様方のご理解と暖かいご支援のお陰です。改めて感謝の意を表し、厚くお礼申し上げます。
 甚だ微力ではございますが、「日本の音楽展」の充実と発展のため、なお一層の努力をして参りたいと存じます。今後とも、よろしくご指導ご鞭撻の程、伏してお願い申し上げます。


「日本の音楽展」25周年を迎えて
「日本の音楽展」主宰  指揮者 熊谷 弘(2003年1月執筆)

  明治以来、西洋音楽は堰を切ったように流れ込み、破竹の勢いで普及し、所謂、音楽愛好家も急増していた。音楽と云えば、西洋のクラシック音楽を指していた時代もあった。 西洋音楽に魅せられ西洋音楽に学んだ日本の演奏家たちは、音楽愛好家達に支えられながら、ヨーロッパの音楽を中心に演奏活動を展開してきた。しかしながら、これらの音楽は異国の文化であり、音楽する楽器や技術は輸入できても、心までは輸入する事は出来なかったのである。昨今、一般的にクラシック音楽に対する関心が低いのは、そのせいかも知れない。
  あらゆる民族は独自の音楽を持ち、あらゆる国々にはその国特有の音楽がある。即ち、イタリアにはイタリアの音楽がありウイーンにはウイーンの音楽があるように、日本には日本の音楽がある。
  西洋音楽が輸入されて百余年、現在、わが国は、作曲家達の精力的活動により多くの優れた音楽作品に恵まれている。これらの音楽は正に私達の音楽であり、私達日本人にとって掛け替えのない素晴らしい財産である。演奏家達は自ら作品を択び、演奏し、聴衆と共に日本の心に触れたいと願っている。
  演奏は音楽との対話であり、演奏家達は音楽を通じて自らを表現する。それが誰かの心に受止められた時、彼らは、初めて生きている証を得る事が出来るのである。音楽は時間の流れと共にあり、音は時間と共に消えていく。音楽は演奏することにより今に甦り人々の中で生き続ける。感動は記憶の一部として心の奥に刻まれるであろう。
  演奏家達は自分と自分の聴衆のため、常に自分に相応しい作品を探し求めているが、出版されている日本の音楽は極めて数少なく、作品リストなどの資料も乏しい状況の中で、「日本の音楽展」では、作曲家達にも情報を提供していただきながら、“たから探し”にも似た作業が繰り返し続いている。
  1997年より設立された「日本の音楽展・作曲賞」では広く一般より作品を募集し、私達は数多くの優れた音楽に出会う事が出来た。
 新世紀の初めにあたり、ズイホー産業株式会社代表取締役会長小島五夫氏の個人的ご厚意により「日本の音楽展・ズイホー賞」が設立され、「日本の音楽展」の発展のために多年にわたり努力してきた演奏家達にとっても大きな励ましとなった。

 2003年、「日本の音楽展」は25周年を迎えました。
 お力添えいただいた諸先輩、友人達、積極的にご参加いただいた演奏家の皆さん、そして、何よりも先に、今日まで「日本の音楽展」を支えて下さったご来場の皆様に心より感謝し、厚くお礼申し上げます。
  私達の音楽が、より多くの人々に受け入れられ、やがて世界の音楽として認知される日を夢見ながら、演奏家の皆さんと共に、愛する日本の音楽を演奏し続けたいと決意を新たにしています。
 今後とも、「日本の音楽展」を宜しくお願申し上げます。


「日本の音楽展」20周年を迎えるにあたって
「日本の音楽展」主宰  指揮者 熊谷 弘(1997年2月執筆)

 西洋音楽が輸入されて以来、百数十年になる。数々の名曲は人々を魅了し、新しい時代を迎えた日本の音楽として普及し、所謂、音楽愛好家と云われる人達も、驚くべき勢いで全国的に広がりをもつようになった。そして、「音楽」と言えば、一時、西洋音楽の代名詞と思われることさえあった。自国の音楽に接することが極めて少ない状況にあった日本のクラシック界において、1979年、演奏家達の積極的な参加を得て開始された「日本の音楽展」は、来年1998年、20周年を迎えようとしている。

 アジアでも極東に位置する我が国は、古来、中国大陸や東南アジア等の外来文化に大きく影響されながら独自の文化を築き継承してきたが、明治維新をきっかけに欧米の文化を積極的に取り入れ、当時、先進国といわれた国々とも次第に交流を深めていった。戦後の日本は、世界中の文化に押し流され、浸り切っているかの如く見えたが、近年になって、古くから伝えられてきた我が国の文化に興味を持ち、その風習や完成された伝統の美に大きな関心を寄せる人々も多く見られるようになった。人々は、その創造物や芸術に日本の伝統と心を学び、そして又、あらゆる民族の文化にも遭遇し、触発され、未来に向かう大きなエネルギーを得る。異なった文化の摺り合せと交わりは刺激的であり、新たに試みる力強い創造は、日本の今日であり、魅力的な明日を築くのである。それらは全世界に向け継続的に発信され、多くの人々に受けとめられ、そして、真に価値あるものとして成長していくであろう。

 西洋音楽に学んだ日本の作曲家たちは、あらゆる民族文化の影響を受けながらも、自己の表現として新しい音楽を創りあげてきた。現在、約五百人にのぼると言われる我が国の作曲家達は、彼等の持つ豊かな感性と精力的創作活動により、毎年、膨大な数の作品を創作し発表している。高い芸術性を持つ極めて優れたそれらの作品は我々の心をとらえ、又、国際的にも高い評価を得ている。今や、日本は「知られざる名曲」の宝庫と言っても過言ではないであろう。

 日本の音楽は、私たち日本人にとって、掛替えのない財産である。演奏家達は、自ら作品を選び、聴衆と共に日本の心に触れたいと願っている。来年は、「日本の音楽展」も、20周年を迎える。「知られざる日本の名曲」が、「不朽の名曲」となり、やがて、世界の音楽として人々に受け入れられる日がやって来ると信じながら、愛する日本の音楽を繰り返し演奏し続けたいと、思いを新たにしている。

 

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